Sunday, November 6, 2011

日本のフシギ


日本の結婚式について、思うことがあります。

特定の宗教や神様を信じない新郎新婦が、
結婚式をチャペルで、しかも十字架の下で行う。

「一生この人を愛します」って、”神”に誓う。

そのことに、どうしても拭えない違和感がある。

それを普通に、何も思わずやってのけちゃう日本人の精神って、
なんなんだろう?

牧師さんが式中に言ってること、
聖書の言葉の意味、キリスト教における”愛”とか”結婚”とか、
ちゃんと理解してないってことだよね?

私自身もそういう意味、キリスト教じゃないし、
ちゃんと勉強していないから知らないけど、

新郎新婦が自分たちの結婚式をどんなものにするか決める際、
キリスト教を信じてもいないのに、
頭上の十字架の重さもわからないのに、
キリスト教の神の前で愛を誓うって、

どうも胡散臭く見えてしまう。


神前で愛を誓うって、
心から真摯に行うものじゃないのかな?


もちろん、愛ってそんな神様の前でわざわざ誓わなくても存在するものだし、
結婚式っていう形式すらなくたって変わらない。

だからこそ、あえて式を行うからには、
自分の信じる神の前で、心から、愛を誓うものなんじゃないだろうか。

もし特定の神を信じないならば、キリスト教式にしなくても、
他の方法で式を行えばいいんじゃないのかな?


うーん。
まあこれって、日本のクリスマスみたいに、
本来の意味を失ったイベント、
としてみるべきものなのかな?

いやでも、結婚式は新郎と新婦の意思によってつくられるものであり、
クリスマスのように商業的になされてるものではないからやっぱり違う。


クリスチャンの牧師さんは、
こういう無宗教の人間が
信じてもいない神の前で誓いをしているのを
式中、目の前でどう思っているのだろう・・・

と余計なことばかり考えてしまう私でした。

6 comments:

  1. わかるよん、愛香の中でもずーっと違和感。
    そのことで大河と喧嘩したこともあるくらいw
    結婚式用に作られた形だけのチャペルで、結婚式だけのために雇われてる臨時の牧師さんの前で、一生の愛を誓う、しかもたいてい入籍後に。
    結婚式の意味なーいwww

    わたしの人生初の結婚式(この間の)は、良かったよ!
    新郎がクリスチャンだったから、本物の結婚式でした。
    上智の中の小さな礼拝堂で、結婚式用だけじゃなくて本格的なミサもやって。
    神父さんの前で愛を誓ったその瞬間が‟結婚”で。(つまり入籍は式のあと。当たり前だけど。)
    それに上智で結婚式挙げたい人は半年くらい前から週に一回キリスト教の結婚観について学ぶために学校に通わないといけないってゆう義務があるしw

    うーん、愛香はチャペルで式は挙げないな。
    むずがゆくなっちゃう。
    神は信じているし、キリスト教的文化の中で育ってはいるけど、それでも嫌だなぁ。

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  2. 今返事書いてたんだけど、これ以上はちょっと白熱しちゃいそうだったから、直接話そうw
    コメントありがとう!

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  3. 僕も結婚式を上げる理由なんてあるんだろうかって思ったことがあって、
    じいちゃんに聞いたんだけど、
    結婚式を上げる意味は世話になった人や、身近な人達に結婚したと報告するためにあるって言われたよ。
    一人ずつ挨拶して回るのは大変だから全員集めてまとめて挨拶するために式をあげたほうがいいんだって。
    皆がどういう気持ちで神前で愛を誓っているのかわからないけれど、
    彼らが信じている神様も招待客の一員であるのかもしれないね。

    キリスト教でもない人達が教会で式を上げるのは順子の言う通り理解に苦しむけれど、
    バレンタインやクリスマスみたいに、日本人は自分流に変えてしまう性質があるから、
    海外の結婚式と日本の結婚式は同じ教会であげようが別物かもしれない。

    それにしても、キリスト教では神前で愛を誓うんだったね。なんだか変な感じ。
    けれど、キリスト教の夫婦でも誓を破ること普通にはあるだろうから、
    そう考えたら日本人だけでなく、キリスト教の人達もどういう気持で愛を誓っているのか気になる所。

    キリスト教について詳しく知らないけれど、死んだらまた生まれ変わるんじゃなかったっけ?
    そうだとしたら、一生愛すという誓いって短いね。
    言い換えたら僕はこの先約60年あなたを愛しますって事だもの。

    人それぞれ感覚は違うけれど、僕にとって誰かを愛すと決めたその心が一生ものなら少し足りない気がするな。

    それよりも、こんなブログのサイトがあるなんてしらなかった。
    なんだか白と黒で統一されていて静かな場所だね。落ち着く。笑

    あと一週間で日本帰ります!☆

    陽太郎

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  4. 久保田

    コメントありがとう!

    式は挨拶の役割を果たす、っていうのはわかる。
    でも信じていないならあえてキリスト教式でなくてもいいじゃない?
    やっぱりそこには、久保田の言うように、本来のコンテクストから外して形式だけ取り入れるという
    日本人特有の文化が背景にあるってことだよね。
    神道式で挙げる人も、神道を心から信じていますって言える訳ではないことが多いだろうね。
    神道式の結婚式は日本に元々ある儀式だから、信仰心が衰えても文化として根づいているっていうのはわかりやすいけど。

    誓を破るということ、つまりここでいう離婚が、キリスト教ではどう考えられてるのかはわかんない。
    でも誓っているそのときは、誰もが、心から誓ってるんだと信じたい。笑
    でもそれはやっぱり人間だから、のちのち変わっていってしまうことも沢山あるよね。

    キリスト教では、生まれ変わりっていう考え方はないみたいだよ。天国か地獄に行っておしまい!

    久保田の言ってる、一生愛するのは少し足りないっていうのは、来世になってもまた愛してるっていうのに比べてってこと?
    そうだとしたらすごい。生まれ変わって自分は何になってるかも、相手が何になってるかもわからないけど愛するって。
    その人の魂を愛してるってことかな、それって。
    そうなると、自分は相手の魂(生まれ持ったもの)と付き合っているのか、それとも環境(後天的な物)が創り上げたその人と付き合ってるのかって考えさせられるなあ。

    ブログのデザインは、一番シンプルなものにしたよ。写真載っけるからさ、引き立て役になってもらわないと!笑

    会うの楽しみにしてるよ!

    順子

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  5. Where should I hold my wedding ceremony??? I do not believe in any religions.

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  6. あっこ

    コメントありがとう!

    あっこはギリシャの、海の見える丘でやってほしいな♡
    なぜなら私がそこで二人の写真撮りたいから♡

    無宗教ならわざわざ牧師さんを雇わなくたっていいわけだから、
    (「牧師」という立場の人に結婚のとり行いをしてもらわなくても、自分の信条的に問題がない、って意味で)
    誰か大事な人が牧師さん代わりに進めるってのもありだよね。

    宗教に従わない=どんな形でもいい、わけだから、
    誓いの言葉だって、式中の音楽だって、会場だって、
    あっこ(と旦那さん)の好きなよう〜に決めればいいんじゃない?:)

    考えるだけでワクワクするね!
    そのためには予算からだね!笑

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